アニメをっち

アニメの感想、持論などを好き勝手に書いております

「萌え」の本質は許しである

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(株)テクノクラフト、(株)三才ブックスもえたん制作委員会

 萌えアニメを観ても感覚的には理解できない人間ではあるのだが、観た人の中で何が起こっているか理解できている気がする。

 それを言語化してみた。

 

 

 

萌えの定義は?


 まず、萌えの定義が広がりすぎてやっかいなのでここでは可愛いキャラクターを愛する事、愛でる事とする。

 では、可愛いとは何か?

 これも中々定義が難しいのだが、ここでは未熟である・成長過程であるとしておく。

 

  ちなみにグーグル先生に聞くと、

1.(小さくて)愛らしい。「―子ねこ」。小さい。2.同情を誘うばかりに(痛々しく)かわいそうだ。

 

 という回答が返って来た。まぁ許容範囲と思って貰いたい。

 

  これは持論なのだが、尊敬の対義語は可愛いだと思っている。尊敬は緊張を強いる関係なのに対して、可愛いは安心 できる関係。

 合っているかは分からないが一理ぐらいはあるだろう。

 

「萌え」とは何か?

 そしてこれが結論になるのだが、アニメを観て癒されるというのは、アニメキャラの劣っている部分を見て安心するという事ではないだろうか。

 多くのアニメキャラには欠点や弱点という属性が備わっている。ドジっ子属性やツンデレ属性(特定の相手に対してコミュニケーションが下手)というのがそうだ。

 そういったキャラクターの劣っている部分を愛し、そしてそれと同時に自分の劣っている部分を許す事が出来る。

 欠点があってもいいよね? と、他者の欠点を許す事で自分もまた許されている。

 これがアニメを観る人の心の中で起こっている事ではないだろうか。

 

 

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©2006 谷川流いとうのいぢ/SOS団 ©2007,2008,2009 谷川流いとうのいぢ/SOS団

 

 アニメは犯罪の温床?

 

 (ここからは蛇足である、面倒な話が嫌いな人はブラウザバックして貰って構わない)

 では、その結論を踏まえるとアニメが犯罪の温床になっている、というのは大きな間違いだという事が分かる。

 アニメは基本的に人を許すものである。アニメがあるお陰で多くの人が救われていて、残念ながらそれでも救い切れなかった人が犯罪者になる、という構図だ。

 この社会ではアニメが弱者の受け皿になっているのだ。だが受け皿は万能ではない、だからどうしても零れ落ちる人は出て来る。

 ある人がアニメに救いを求めて、それでも救われなかった時に犯罪に走ってしまう。その結果、アニメ好きの犯罪者というイメージが生まれてしまう。

 

 なので、アニメはそもそも犯罪の原因ではなく、その人が救いを求めた経緯なのだ。むしろアニメぐらいしか人の心を救う手段がないこの社会に疑問を持つべきだろう。

 

  しかしアニメを責める人たちは一体何に救われているのだろうか。

 メインカルチャーであるはずの文学・美術等の文化が社会的にほぼ機能していない中、サブカルチャーであるアニメ・漫画・ゲームの方が圧倒的に人の心を救っているという状態がある(データはない、俺は知らない)。

 その救いを潰そうとしているんだから意味が分からない。心の支えを失くした人たちが何を始めるか、どんな恐ろしい犯罪を企てるかという事が想像できないのだろうか。

 

 アニメを責める人の心にあるものは……?

 そこでフと思ったのだが、もしかしたらその人たちは文化によって救われていない、それ以前に一度もそういう経験をしていないとしたらどうだろう。

 じゃあ何によって救われているか、何を心の支えに生きているか? という疑問が湧いて来る。文化でなければやはり人、友人や家族・恋人なのだろう。

 だとすると、この不毛な論争が何度も繰り返される原因は……?

 

 もしかしたら、もしかしたらである。アニメを責める人とアニメを守る人の中に共通してあるのは、自分たちの心の支えを守りたいという祈りに似た感情なのかもしれない。

 アニメが奪われる事で自分の心の支えを失うかもしれないと恐れる人たちと、アニメによって自分の大事な人が失われるかもしれないと恐れる人たち。

 そんな対立構造がある、のかも。

 

 あくまで仮説である。というか証明のしようがないし、反論の余地は山ほどある。

 

 まとまりの悪い結論

 最後に、この記事を読む人は恐らくアニメが好きであろうしアニメを守りたいと思う側(自分も含む)だろうからあえて書く。

 仮にあなたが心から信用する人が居て、その人が思ってもいないような犯罪を起こしたとする。

 どうやっても信じられない、信じたくない。そんな時にその人がカルト宗教のようなものにハマっていたという情報を知ったとする。

 あなたが責めるのはその人だろうか、それともそのカルト宗教だろうか。

 

 

 これにも反論の余地はあるだろう、だがその人の想像力によっても大きく変わって来ると思う。