アニメをっち

アニメの感想、持論などを好き勝手に書いております

アニメ「あさがおと加瀬さん。」を一話しか観てないけど語ってみる

  2017、18年? 辺りの作品のようです。全く触れてなかったんですが、Gyaoでやっていたのでちょっと観てみた感想です。

 

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©2018 高嶋ひろみ新書館/「あさがおと加瀬さん。」製作委員会


 まず特徴を三点挙げてみます。

 

  • 百合アニメ
  • ノイズカット
  • 透明感

 

 まず一点目、百合アニメ。

 女の子同士の恋愛ですね。運動部に属する活発そうな女の子と大人しそうな女の子の恋愛。

 一話の冒頭辺りで互いの部屋を映しながら携帯で話しているシーンがありました、部屋の内装がかなり対照的に描かれていましたね。

 物の余りない冷色でガランとした部屋と、可愛いクッションや暖色の家具に囲まれたガーリーな部屋と。かなりタイプの違った二人のようです。

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©2018 高嶋ひろみ新書館/「あさがおと加瀬さん。」製作委員会

 

 二点目に、ノイズカット。

 同性愛を扱っているので、それに関する周囲の反応や場合によっては差別的な言葉を受ける事もあると思うのですが、そういった部分は一切描かれていません。

 これは最近の傾向なんでしょうかね、『やがて君になる』という作品やヒットしている『おっさんずラブ』も差別や偏見といった要素は排除されているようです。

 

 ただ、ノイズカットという点ではこの作品はかなり顕著に見られます。

 それが三点目の透明感。

 

 非常に余白の多いアニメです。それは音が消えたり絵が止まったりと独特の演出でも表現されていますが、それだけ情報量は少ないです。

 ストーリーだけで言うなら一話は、「恋人の為に作ってきたお弁当が渡せない、渡した。別れ際にキス」。大筋はこれだけだったと思います。

 

 恋をしているドキドキ感とそれ故の寂しさと、その部分にスポットが当たっていて他の部分はカットされてますね。

 女性なら月のものがあったり男子からのアプローチがあったり、家庭の事情や友人間のトラブル。将来どうするかとか近所の住人etc。

 

 別にそれらを描く方が優れている、という訳ではないです。ただ情報量が少ないので見る人間を選ぶというのはあるかもしれません。

 対照的な作品として『荒ぶる季節の乙女どもよ。』を挙げておきます。一話のラストで主人公が幼馴染のオ○ニー姿を見てしまうという中々恐ろしい作品です。

 (こちらについてはまた別の記事で書く予定)

 

 

 作品を余白で見せるというのはどういう事かというと、視聴者の感情移入で成り立っているという事だと思います。

 この作品の主役二人はそれぞれに恋をしている、それは付き合っているにも関わらず相手との距離が埋められない、愛しく寂しいというもどかしいものです。

 

 

 仮に恋愛というのを相手に対する幻想で成り立っている。と定義するなら、この作品は視聴者が主役の二人にどれだけ幻想を持てるか、という点で成り立っているのかもしれないです。

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©2018 高嶋ひろみ新書館/「あさがおと加瀬さん。」製作委員会

  それだけクセのないキャラクターなんですよね、それを良いと感じるか物足りないと感じるかは分かれるところではないでしょうか。

 恋への幻想で成り立っている作品、と言えるかもしれません。

 

 もしかしたら幻想というのは見方を変えると空虚なものかもしれないですね。と、恋に幻想を持てなくなった可哀相な男からの批評でした。