アニメ「慎重勇者 ~この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる~」7話について今度は慎重に語る
7話についての二つ目の記事になります。
書く内容は以下の三点。
- 姫騎士を叩くシーン
- 姫騎士との口論
- 勇者の怒り
まず問題のこのシーンですね。
正直、ヒヤッとしました。アニメ内で堂々と女性に手を上げる描写は余りないと思います。女神も言ってましたね、このフェミニズムなご時勢にうんたらって。
そのご時勢がどこのご時勢なのかというともちろん現実世界のご時勢なんでしょう、その辺りの配慮には笑ってしまいましたが。
その後も何度もビンタ。
音だけにしたり絵柄をギャグにしたり、声優もかなりコメディタッチな演技をしてマイルドにしてましたが、正直かなり思い切った表現だと思います。
特にヒール(悪役)でもない女性をここまで叩く描写ってそうないんじゃないでしょうか。
今のところ問題にはなってないようですが、男が力で女性をどうこうしてしまう描写は色々と問題がありそうなんですよね。まぁ問題になってなければ問題ないです(変な日本語)。
次は口論部分に触れますが、面倒な話になっているので飛ばしたかったら次の画像までスクロールして下さい。
では、行きます。
仲間を見殺しにした事に対して姫騎士が勇者に怒りをぶつけ、それに勇者が反論。そして更に勇者が姫騎士を言いくるめるというシーンになりました。
一見、勇者の言ってる事の方が正論に思えます。確かに論理的で正しいんですよね。しかし正しさは立場で変わる。
もし自分が兵士の立場だったら、敵わなくても敵に立ち向かってくれる上官の方が嬉しいし。そもそもそこに突っ込ませた上官が悪いんだ、と言われても人はいつでも正しい(と思われる)行動が取れる訳ではない。
失敗して学ぶ事もあるし人によっては学びもしない。もちろんそんな人の犠牲になるなんて個人的にはちゃんちゃらごめんですが、人ってそういうものだと思います。
我ながら面倒な立ち位置なので説明しずらいですが、勇者を否定している訳ではないんです。勇者の言っている事は確かに正しい。
でも姫騎士にも正さはあって、倒れた部下を放っておけないとか正面から敵にぶつかるという精神であったりとか。いわゆる時代遅れな精神論です。
前のトカゲババアと時にもこういう衝突がありました。
あれって実は全体主義と個人主義の対立でもあるんですね、全体の為に個人が犠牲になるべきだという。それは古い考えだし今の価値観には合っていない、そして個人的にも大嫌いです。
それと似た構造が今回にもあって、それは非合理主義(精神論)と合理主義の対立です。
とにかく努力だ根性だ、突っ込めば勝てるんだといった古い価値観と、計画的に行動して確実な結果を出そうという合理的(なんなら功利的)な価値観。その対立です。
個人的にも後者の価値観の方が好みです。
ならなぜこんなにしつこく語っているかのか、個人的に勇者側の立場だし作中でもそれが正しいと言っているからいいんじゃないか。
でも違うんです、それを対立構造で描いてしまったのが気に食わないんです。
個人の行動として個人主義を描くのはいい、個人の行動として合理的に行動するのはいい。それがこの描き方だとあいつは間違っていてこっちは正しい、という風に見えて「う~ん」となってしまう。
互いに正さの観点が違うだけで、どちらの方が正しいという訳ではない。それをあからさまにしてしまう描き方が余り好きではないんです。物事はそんな簡単に白黒で分けられるものじゃねぇぞ、と。
まるでジジイの小言ですね、我ながら嫌になりますが言葉にするとこんな感じになります。
作者さんがこういう価値観の対立を意図してやっているのかは分かりませんが、また出て来るようなら確信犯だと思います。
では、アニメの話に戻ります。
口論の後、珍しく勇者が怒っていました。ここ、いいですね。
今までは「慎重勇者」というキャラがあって勇者の行動に誰も疑問を持たなかった。なぜそんな行動をするのかという事に疑問を持たなかった。
それがここで怒る事で過去に何があったんだろう? と視聴者に思わせる描写になっています。
ただのキャラクターがバックボーンを持った人物として浮かび上がってきます。この後、勇者の過去について語られるんでしょうか?
他にも頭ナデナデの際に勇者がなぜあんな事を言ったのか、と気になってはいるんですが、分からないのでそのままです。頭撫でるのに理由がいる?
でもまぁ、とりあえず7話についてはこんな感じ。
いやー、退屈させて貰えませんねこの作品は。色んな意味で。
最後に、完全にホラーなアデネラ。