アニメ「世話やきキツネの仙狐さん」の構造的欠陥とその理由
一応、先に言っておきますが、『仙狐さん』の内容をディスる記事ではありません。
ストーリーをザックリ説明すると、仕事で疲れた主人公が狐の神様?(wikiには紳の使いとあった)である仙狐さんにお世話されるというもの。
ストーリーとしてはそれで問題ないのだが、残念ながら作中でその全てが説明されていない。それがこの記事で扱う欠陥です。
一本の物語として見せるなら、主人公が仕事でこういう事があってその結果疲れて家に帰る。という起承転結の起の部分を描かないといけない、序破急で言うなら序ですね。
これは物語り上、不可欠なはずです。
情報のない視聴者にまず主人公の状況を知って貰う、共感して貰う為に必要な部分。そこを欠いてしまっている、だから物語として不完全なんです。
その理由は分かる、分かり過ぎるのだけれど、残念ながらそれでは同じメンタリティーを共有する人以外には通じない。物語の普遍性を欠いてしまってる作品になっています。
試しに海外の反応まとめを探してみたところ。
こんな記事がありました。内容をいくつか引用します。
「日本が今求めている癒しこそ仙狐さんだろうね」
「日本の闇が見える労働内容だよな。日本の働き方は命を削っている」
等、アニメを楽しむというより日本社会についての内容が散見されました。結構知ってるんだ……。
フィクションを作る上でこれは大きな欠陥だとは思います。前提となる知識が共有されていないままでストーリーを進める。例えるなら犯人の動機が分からないまま終わってしまうミステリー作品といった感じでしょうか。
でもその理由は良く分かる。仕事で疲れてアニメで癒されようとしてるのに、なぜまたアニメの中で仕事を思い出さなきゃいけないんだ、と。
こういった観たくないものは除外する、省略するといった表現に関しては個人的にも賛否はありますが、共感するところが多いのでここでは述べません。
なので、この記事はここまで。
そんな事より、
これです、VRです。
ちょうどこのブログを始めた頃にオキュラスクエストを購入したんですが、中々の没入感でした。
まぁお値段はそれなりだし(5万でした)、VR酔いというのもあるので万人におススメできる訳ではないんですが(ついでに言うと女性向けコンテンツはまだ少ないかも)。それでも現在の閉塞感を一時的に吹き飛ばしてくれるには十分なパワーがあります。
既にVRアニメとして発売されているのはこちら。
まだやってないんですけどね。レビュー等によるとアニメの中に入った感覚が味わえるようです。マジで!?
かつてネットやニコ動にあったアングラ感や逃避場所というのが、今はVRになっているのかもしれません。だからイライラするならVRに逃げようぜ! という、そんな記事でした。
これ、前半の内容必要だった?