「面白くない」という問題
『鬼滅の刃』が社会現象になっているようです。正直、こんなにヒットするとは思ってなかった。というか好きではない作品なんですよね、こんな記事もいてます。
「好きではない」と書きました、決して「面白くない」とは書いていません。この違いがややこしいところなので、ここにポイントを絞って書いてみたいと思います。
『ソードアート・オンライン』が面白くない!
そういえば前にもこんな事があったなと思い、振り返ってみます。『ソードアート・オンライン』(以降、SAO)という作品についてです。
人気のある作品だとは知らず、それよりも当時読んでいた押井守の小説『Avalon 灰色の貴婦人』(以降、アヴァロン)と比較して観ていました。一応、同ジャンルの作品になると思います。
比較して観るという間違い
同じVRMMORPG(没入型の多人数参加が可能なRPGゲーム)をテーマにした作品。非常に面白いです、既に五回は読み返してると思う。
『アヴァロン』に描かれてるのはVRMMORPGの世界とそれに関わる人間像やその類型。更にそれを含めた社会というものまで見事に書き出されていると思います。
しかし、その文脈で他作品を観てしまったのに問題があった。
『SAO』はSFやVRMMOに関わる人間像をほぼ描いていないです。そもそも一期でHMD(ヘッドマウントディスプレイ)を外したのは最後ぐらいでした。それぐらいゲームの世界に入り込んでいて(抜け出せないとも言う)、現実の登場人物の姿が描かれる事はなかったように思います。
そこに幻滅してしまったんです。更に主人公は何かスネた人物で、「風が気持ちいい」とか良く分からない事を言って女を落し(以下の文章は削除されました)
『ソードアート・オンライン』は冒険物語だ
見方を間違えていたのが原因です。『SAO』は冒険物語なんです、VRという今までになった新しい世界を冒険する話。付け加えて言うと、現実社会でははみ出し者の主人公がその世界では大活躍できるという夢のような物語。それが『SAO』という話でした。
きっと十台の自分が観たらのめり込んでいたと思うんです。はみ出し者だったので、今でもそうですが。でも作品を観る文脈を間違えていたせいで『SAO』の魅力に気付かなかった。気付けなかった。
つまり、ここでの「面白くない」は、「楽しみ方を間違えた」と言っても良いでしょう。
「面白くない」の様々な原因
他にも「不快感がある」、見ていて嫌になるというのも「面白くない」と言われてしまう。最近、問題になっているらしい女性のモノ化というのもそうでしょう。
それらの作品は一部の人間から嫌悪でもって見られていると思います。だがそれは作品の評価として合っているんでしょうか?
(個人的にも最近のハーレムものは全然面白くないと思いますが、それは不快感とはまた違う話です)
好きと嫌いという問題もあって。これは不快感よりも軽い、単に好みの問題。何となく、という気分のようなものです。
例えば体調が悪い時にテンションの高い作品を見るとどうでしょう、気分を害しませんか? 他にもラブコメが見たい気分なのにホラーを見せられたらどう思うでしょう。嫌な事を思い出させる作品というのもそうだし、更にその気分が解消されなかったら最悪です。
人の気分というのは凄くムラがあって曖昧なものです。しかしこれらも全て「面白くない」と言われてしまいます。
それ以外の要因では、嫌いな人が好きと言っていた・好きな人が嫌いと言っていた。そんなパターンもあります。
誰かを通して作品を観てしまうとその人のイメージに引っ張られて作品自体が見えなくなる事もあります。
刺激がない、刺激が足りないも「面白くない」の要因でしょう。その刺激というのはもちろん個々人によって違うものですが、その人にとって刺激がなければ一括して「面白くない」と言われてしまいます。
このように「面白くない」理由を挙げ出したらキリがない。他にもその人の理解力や感情移入できる対象というのもあるし、恐らく記事を書き上げてから「あ、あれもあった」と気付く事もあるでしょう。
「分からない」でいい
一億総批評家時代と言われているようです、誰でも批評は可能な社会の事です。だからこそ簡単に「面白くない」と言ってはいけないと思っています。
これは『SAO』をこき下ろしていた自分にも言える事ですが、作品の魅力が分からなければ素直に「分からない」と言えばいいんです。いつか分かる日が来るかもしれないから。
社会現象になるような作品は特にそうだと思います。
もちろん面白くない作品は存在します、好きな作品の上辺だけを汲み取って薄めて出したような作品も。でも、それはそれでいいんです。恐らくは書いた本人が一番その事に気付いているから、もしくは気付く事になるでしょうから。だからそれはソッとしておけばいい。
『鬼滅の刃』が分からない
だからいつか『鬼滅の刃』の魅力に気付く日が来るのかもしれない、来ないのかもしれない。それよりは誰かにその魅力について教えて貰いたいというのはあるんですが、今のところは分からないままですね。
自分でその面白さが体感できなくても、言葉では理解できる。そんな状態がベストだと思います。ある時にフッと分かる時が来るかもしれないから。
まぁ、記事にも書いてますが、基本的に『鬼滅の刃』に関してはフィーリングが合わないというのが一番の理由です(家族の扱いに目をつむれば)。
これは気分の問題と言ってもいいし、だからこそ中々解消されないというのもあるんですが……。
とにかく、作品の見方が分かった時にようやくその魅力に気付くというのはあります。『SAO』の時は確か5年ほど掛かっています(別にそればかり考えていた訳ではないですが)、『鬼滅の刃』も何年掛かるか分かりませんが、その時にはまた記事にしたいと思っています。
その時までブログ続けてたら、ですけどねー。