日本神話で読み解く「ID:INVADED イド:インヴェイデッド」
作中に「ミヅハノメ」と「ワクムスビ」という二つの単語が登場します。これらは互いに日本神話の神々の名前となっています。
ここから何か読み取れる事はないか? と思い、それらについて調べた範囲で書いていきたいと思います。
「ミヅハノメ」と「ワクムスビ」
●イザナミがカグツチ(火の神)を産んで産道を火傷した苦しみから失禁して生まれた神。
●水の女神。
●神話の中では、食料の神と結びついて描かれている。
以前の記事でも少し触れましたがもう一度、水の神様なので井戸の神様でもあるようです。
日本においては井戸神として弥都波能売神(みづはのめのかみ、水神)などが祀られた。
心理学用語のイド(エスとも言う、衝動のこと)と井戸の意味を合わせてその神様の名前を付けた。作中でもそんな説明がありました。
頭から蚕と桑、ヘソから五穀が
続いて「ワクムスビ」ですが、作中で「ワクムスビ」は「ミヅハノメ」の息子と言われていました。しかしリンク先の「ミヅハノメ」のページでは共に生まれた神とされています(ちなみに子供は「トヨウケビメノ」)。
これが脚本上のミスなのか意図的なものなのかは分かりません。まぁ結婚して子供を作っているので近い関係とは言えます。装置的にも対の関係になってるので間違ってないようにも感じますが、どうなんでしょう。
日本神話から
イザナギ・イザナミの話はそれなりに有名かと思われますが、一から説明すると長くなるのでこちらを参照。
今回、説明で使うのは「黄泉の国」までなので1ページ目と2ページ目の少しだけで十分です。
(ひらがなが付いていないので多少分かりにくいところがあります)
先のリンクと同じサイトですが、こっちの方が分かりやすい?
イドに日本神話を当てはめてみる
カエルちゃんは何者?
イドは井戸であり異土である。異土とは? 異国でありあの世でもあります。
他にも井戸を通ってあの世へ行っていたという話があります。
篁は昼間は朝廷で官吏を、夜間は冥府において閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという伝説が
冥府との往還には井戸を使い
井戸はイドでありあの世の異土でもある。なら主人公がイドの中で会う人物とは誰なのか?
ここで先ほどの「黄泉の国」を思い出して下さい。仮に主人公をイザナギとすると、あの世に会いに行ったのはイザナミとなります。
イザナミはイザナギの妻、つまり主人公の妻ですね。イドの中へ行くとカエルちゃんが毎回死んだ姿で現れる、つまりカエルちゃんは主人公の妻ではないか? という仮設が立てられる。
主人公の妻が死んだ原因は?
日本神話ではイザナミが死んだ原因はカグツチノカミ(火の神様)を産んだから、とされています。なら主人公の妻が死んだのは娘の出産が原因、ムクちゃんを産んだから。
しかしムクちゃんは写真で見る限り中学生ぐらいにはなっているようです。なので直接の原因と考えるのは難しい。
無理やり意味づけるなら、娘の火遊びが原因です!
(まぁ最初から無理があるのは分かってました)
イザナミの呪い
「黄泉の国」のエピソードがその後どうなるか? 腐ったイザナミに追われたイザナギは必死で逃げます。そして大岩で黄泉の国と地上との間をふさぎます。
イザナギとイザナミの国造り 高天原、地上の世界、黄泉の国 <ひょうご伝説紀行 - 神と仏 ‐>
追いかけてきたイザナミは、岩の向こうから大声でさけびました。
「これからは、あなたの国の人を、一日に千人ずつ殺しますからね」
「それならば、地上では一日に千五百人ずつ子供が生まれるようにするよ」
イザナギは答えました。
これが日本神話での死の始まりとされています。
これを「id:INVADED」の世界に当てはめるとどうなるか? 作中のイドは殺人衝動の世界です。それが何らかの方法で現実世界に飛び出したら?
作中で言われていた「思念粒子」というものが「ミヅハノメ」かもしくは他の方法で噴出してしまう、それに触れた人間が次々と衝動に駆られて殺人を犯してしまう。
日本神話の中では岩でフタをされていますが、その岩は何になるんでしょう? 現状では分かりません。
日本神話で語られた「死の始まり」ですが、この作品では「殺人の始まり」が語られるのかもしれません。
と、分かったような分からないような結論を言ったところで終わります。
後はおまけ程度です。
カエルの神様?
カエルちゃん=イザナミという仮説は出しましたが、それ以外の可能性を考えてあれこれと調べてみました。蛙に関する神様はそれなりに居るようですが、今のところそれらしい回答はないようです。
タニグク。
(ここのサイト、見やすくて助かります)
タニグクはヒキガエル。
ヒキガエルはエグイ容姿ではありますが、害虫を食べる存在です。
カエルを祭った神社。
昔々、この地に、人間のように立って歩きたいと願う蛙がいました。
そこで蛙は、熱心に願をかけ、二本足で歩けるよう祈りました。そしてついに願いが叶い歩けるようになったのです。
しかし、立ってしまうと蛙の目は後ろになってしまい、うまく歩くことができません。蛙はもう一度願をかけ、元のように戻れるよう祈りました。
「立って歩きたい」、「やっぱり元に戻してほしい」、ころころ心が変わる蛙に神様も怒ったのか、簡単には許しません。
困り果てたころ、大日如来(不動明王)様が元に戻してくれました。
戻った蛙は二度と立って歩きたいとは思いませんでした。
蛙石(かわずいし)
小田原の危機の際には、必ず鳴くといわれており
土地の神様という感じですね。
「井の中の蛙」という言葉がどうしても引っ掛かりますが、何か関係はあるんでしょうか?