アニメをっち

アニメの感想、持論などを好き勝手に書いております

「バ美肉おじさん」というホモソーシャル

 「バ美肉おじさん」がNHKの番組で取り上げられたらしい。テレビがないので番組は観ていないが、聞いた話によるとそれなりのファンを獲得しているらしい。しかもネタや茶化すつもりではなく、割とマジで可愛いと思って観ている人間が居るという話だ。

 「バ美肉おじさん」の存在は一応知ってはいたし、彼らが別段おかしな存在ではないと個人的には思っている、その理由にも触れる。

 それより彼らのファンの方に疑問を感じてしまったので、それを自分に納得させる為に考えた事を記事化する。

 前置きが長くなって申し訳ない。

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バ美肉おじさん」はおかしな現象か?

 その存在自体に何の疑問も感じない。その理由は『あずまんが大王』の作者さんが、自分の描くような美少女と付き合いたいのか? と問われて「自分が美少女になりたい」と答えた、というエピソードを知っているから。

(残念ながらググってもこのエピソードは見つからなかった)

 

 これは別にその作者さんが特殊という訳ではなく、創作に関わる人間ならいくらか持ち合わせているものだと思っている。

   他にも宮崎駿の『出発点』から一部引用。

出発点―1979~1996

出発点―1979~1996

 

ある時期……少年から青年へ移行する不安定な一時期に、ある種の傾向を持った青年達は「少女」の話に聖なる象徴を見出す。(中略)青年たちは、自分の中に少女を飼い始める。少女は彼の一部であり、彼の心の投影である。(後略)

 『「街」「プレゼント」を観て』という数ページの短い文章だ。興味のある方は一読をおススメする。

 

 創作物は全て作者の心の投影だ、そうありたい自分・こんな事が起こればいいのにという願望・理想的な異性etc。それらは全て作品という形を取る前に、作者の中で必ず一度演じられる(もしくは、なぞられる。これは理想を書く人と経験を書く人の違い)。

 「バ美肉おじさん」と理想の少女を描くアーティストとの違いは何か? 作品という形を取るか取らないか、自らの身振り手振りを伴うかどうかの違いぐらいだろう。

 創作する事と自ら演じる事の違いと言ってもいい。個人的にはそこに大した差はないと思う。

 

バ美肉おじさん」を可愛いと思うか?

 これに関してはあくまで個人的な感情である。本人を前にしたら言葉をにごすだろうが、あえて書くと自分は可愛いとは思わない。

 別にファンの方を批判するつもりもないし本人を傷付けたいという訳ではないのだが、そうは思えないのだ。どうしても背後に居る男の顔が見えてしまう。

 つまりその人の好みや性格がハッキリ見えてしまうのだ。

 

 冒頭に挙げた番組の大筋がtogetterにあったのでリンクを貼る。
togetter.com

 

 主に中の人にスポットが当たっているせいで、自分の持っている疑問には答えてくれなかった。それでも一部触れているので引用する。

 

 「バ美肉は突っ込まない、美少女は枯山水、日本の伝統文化」

人形浄瑠璃でも、人形のうしろに黒子のおじさんが見えてる。でも、見てる人が『いや、そこにおじさんいるじゃん』っていうのは野暮。

 

 これは「見立て」や「お約束」というものだろう。

 漫画やアニメにいくら美少女が出て来ようが、それを演じる声優がいくら可愛かろうが、その台詞を言わせているのも言い方の演技に指示を出しているのも男(主におっさん)たちだ。これは周知の事実であり、今更声を荒げて言う事でもないだろう。

 それは前提であり当たり前の事だから特に触れずに放っておくべき事なのだと思う。

 

 しかしまぁ、こんなブログを書いて作品分析をしているような人間にとってはそっちの方が重要なのだ。後ろに居るおっさんの意図を把握してそれを伝えたい、ただ可愛いとか面白いという言葉の背後にあるものを共有したいと思っている人間にとっては、その前提の更に背後にあるものの方が大事なのだ。

 結局のところ、「バ美肉おじさん」を可愛いと思えないのはこういう目線だ。メタ視点で作品を観てしまうクセが自分にあるからで、だから表面的な可愛さには目が行かないのだろう。というのが「バ美肉おじさん」を個人的には可愛いと思えない理由なのだと思う。

 「お約束」の外側から物事を見ていたら一緒になって楽しめないのも当然だ。これは「バ美肉おじさん」が可愛いかどうか以前の問題だと思う。

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ホモソーシャルの中の可愛さ

 しかしそれでも疑問は残る。見た目が可愛いならいい、と言うなら整形美人やネカマはどうなるのだろう。互いに作られた可愛さじゃないのか?

 なぜ「バ美肉おじさん」はいいのに整形やネカマは許されないのか? この疑問に対して出した答はホモソーシャルだ。

 

ホモソーシャル - Wikipedia

 恋愛または性的な意味を持たない、同性間の結びつきや関係性を意味する社会学の用語。友情や師弟関係、メンターシップ、その他がこれに該当する。

 

 安心感と言ってもいい。こんな女の子可愛いよねっ、という幻想を男同士で共有する。それは現実に居ようが居まいが関係ない。互いに信じる事が出来ればいいのだ。

 

 その安心感は裏返すと、騙されたくないという事になる。本気になって騙されるより安心できる仲間と自分好みの幻想を共有している方がいい。

 うん……、本来ならここで説教臭い事の一つも言うべきなのかもしれないが、その権利を有する人間ではないのでこれ以上の明言は避ける。

  あえて言うなら、それの何が悪い? というぐらいだろう。

 

 

 あのアニメキャラって可愛いよね、と言うのと「バ美肉おじさん」を可愛いと思うのは恐らく同義なのだろう。そんな結論になった、当たっているかは分からない。