「鬼滅の刃」ヒットの要因は? 「もののけ姫」との共通点
思うところがあったので書いてみる、当たっているかは分からない。
『もののけ姫』との共通点とは?
当然ながら『鬼滅の刃』は『もののけ姫』のように環境問題を扱っていない。時代設定も違うし主人公も呪いを受けていない。
では何が同じなのか? それは妹である禰豆子だ。
中間者、もしくはハーフ
古くは『デビルマン』や『仮面ライダー』の主人公がそれに当たる。何かしら人類(もしくは一般人)の敵となる勢力が現れ、その勢力の力を持ちながらも人類の味方として戦う、そんな立場のキャラクターだ。それを仮に「中間者」と名付けてみる。
最近の作品では『東京グール』の主人公がそれに当たるだろうか。ジャンルの違うところだと『夏目友人帳』や『イド・インヴェイテッド』の主人公もそれに当たるかもしれない(犯罪者でありながら連続殺人の謎を解く)。
他にもハーフブラッドやヴァンピールなんていう架空の存在も居る。
禰豆子=サン
この中間者は『鬼滅の刃』における炭治朗ではない、妹の禰豆子だ。鬼になりながらも人を襲わず鬼と戦う、これはかつてのヒーローたちがやって来た事だ。
だが今作の主人公はそうではない、炭治朗は普通の人間である。鬼になった妹を思う兄という存在だ。
この関係に既視感があった、『もののけ姫』におけるアシタカとサンの関係である。サンは人でありながら狼に育てられた存在だ、アシタカはそんなサンと目的を共にし、ラストシーンでは共に生きる事を約束している。
中間者を想う人
中間者という存在はその立場上どっち付かずになってしまう。人の味方をしているけれど、人からは敵扱いをされてしまうし、その敵からは裏切り者扱いを受ける。
だから彼らは自分の正体を隠して人に紛れて生きる事になるのだけれど、その中間者の味方であるというのは更に厄介だ。
敵を倒す事は想い人である中間者を殺す事と同じ、彼らを憎む人間の声は想い人へと向けられた憎悪と同じだ。更にその想い人に裏切られる可能性まである。
もう一つの本質
『鬼滅の刃』の魅力について検索していると、「主人公の優しさ」について触れられていた記事があった。倒した鬼の事を思いやる姿勢の事らしい。
その原因が妹にある事は既に述べた。なのでもう一歩、突っ込んだ意見を書いてみたいと思う。
人よりも鬼を想う
この作品の中心になっているのは人ではないのかもしれない、妹を含めて人を外れた存在の鬼がメインになっているのではないか、と仮定する。
(ぶっちゃけこの作品についてはアニメの序盤を観ただけでそれ以降のストーリーも分からないので、この指摘が合っているのかは分からないのを前提で書く)
この作品で中心になっているのは、軽率な行動や間違った事をしでかす人間よりも、鬼なのではないか? 人の道を外れて生きざるを得なかった者への同情心、そんなものが作品の中心にあるのではないか。
当事者(鬼)ではない形で人の道を外れた存在と向かい合う。今の社会にはそれを必要とする要因があるのではないか?
それは心の問題を抱えた家族だったり、少し危ない趣味を持った友人だったり。はたまた性的マイノリティーの知り合いだったり、公言できない性癖を持った恋人だったり。もしかしたら自分の中にある隠し事かもしれない。
そういった社会的に認められないものへの同情心や悲しみがこの作品のヒットした要因なのかもしれない。
もしこの指摘が合っているのなら、社会現象になっている原因がもしそんな点にあるのなら、個人的に持っているこの作品への評価が大きく変わる事になるだろう。
だが今のところその確証は得られていない、なのでもうしばらく様子を見ていようと思う。
追記
一応ですが、技の組み合わせという男の子が大好きな要素と、妹を大事にするという女の子が大好きらしい要素というのは知っています。
その上で社会現象化する作品には何かあるのではないか? という問いからこの記事を書いています。