デスゲームから新日常系へ 「不安コンテンツ」の行方
日常系から新日常系が生まれた、と考えるのは間違っているのではないか? では何が元になっているか、もしくはその前にあったものは何か。というところから行き着いたのが「デスゲーム」作品でした。
この記事では『バトルロワイヤル』を初めとするゼロ年代のデスゲーム作品がなぜ新日常系へと姿を変えて行ったのか? について考えてみたいと思います。
それぞれの定義
まずは「デスゲーム」と「新日常系」がどういうものか説明します。既に知っている方は飛ばして下さい。
デスゲーム
登場人物が死を伴う危険な娯楽に巻き込まれる様相を描くようなフィクション作品、およびそのようなフィクションの劇中で描かれる、参加者の生死をチップにした架空の娯楽である。
日本での代表作は『バトルロワイヤル』、他には『リアル鬼ごっこ』や『王様ゲーム』等。
海外では『CUBE』シリーズや『SAW』シリーズがあるが、日本のデスゲームものとは少し毛色が違っているように思います。
日本のデスゲーム作品は人同士の殺し合いや騙し合いがメインにあるけれど、海外の物はギミックやサイコパスからいかに生き残るかがメインにあるように感じます。
新日常系
一見すると登場人物はいつも日常を送っているようで、実はその背景となる世界は過酷な状況や運命が潜み、いつ日常が壊れるか危うい日々の物語が「新日常系」
定義が難しい作品群であると思います、代表作は『がっこうぐらし!』や『結城友奈は勇者である』等。
デスゲームから新日常系へ
『バトルロワイヤル』の背景
少し前に書いたけれど、もう一度繰り返します。
『バトルロワイヤル』は大人の都合によって殺し合いをさせられる子供たち、という作品です。この構造を元に山田玲司という人が面白い分析をしていました。
『バトル・ロワイアル』がヒットしたのはバブル崩壊後、それまでの高度経済成長が終わり、安定した生活を出来る人間が限られてしまった。だからその座を取り合う形でデスゲームが始まったのではないか、というもの。
つまりバブル崩壊がデスゲームのキッカケになっている。だから日本のデスゲーム作品は人同士が殺しあったり騙しあう傾向が強い、と考えられます。
新日常系へ
デスゲームが限られた席を取り合う戦いと考えるなら、新日常系は何なのか? 既に日常が崩壊した世界で日常感を保ちながら生きていくのは何を意味しているか?
もはや取り合う席すらない、と言っていいと思います。どうしようもない現実の中で、仲間同士で何とか生活感や日常感をやりくりしている。それが新日常系というジャンルではないか?
不況との関係
デスゲームがバブル崩壊後の混乱を描いたものだとすると、新日常系は不況が当たり前になった時代のコンテンツだと言えます。デスゲームの中にはまだ勝者が居た、でも新日常系の中には勝者どころか生き残れる人間が居るかどうかも疑わしい。
現代人、もしくは若者の心を占めているのはこんな感情なのではないでしょうか。
不安コンテンツ
あえてこんな言葉を使いました。いつの時代にもその時代の人が心に秘めた不安を浮き彫りにする作品というのがあります。
人造人間への恐れを描いた『フランケンシュタイン』、生活の中に存在する動物への恐怖を描いた『鳥』(直感で書いているのでこれらの指摘が合っているかは分かりません)。
デスゲーム作品や新日常系の作品もそういったコンテンツに属するのではないかと思われます。
新しい不安?
少し前に二十歳前の男の子と一緒に働く機会がありました。真面目で人当たりの良い子だったんですが、働いている最中に余り指示を聞いてくれずに、少しテンパっている事がありました。
理由を聞いてみると、緊張してそうなるらしいです。しかもそれは授業中もそうだったらしく、授業中はいつも手の平に汗をかいていたと聞いて驚きました。
その子に精神的な疾患はないようです。その後にいくつか似たような若者の話を耳にする事もあり、どうやらその恐怖というのがその子特有のものではない事が分かりました。
誰かが言っていた話によると、日常のちょっとした失敗がその後もどんどん積み重なって行って、今の日常から転げ落ちてしまうのではないか。そんな不安感があるようです。
この不安がコンテンツとしてどんな形を取るかは興味深いですが、どれだけ平和な時代になっても人が不安を感じるのは間違いないようです。
不安はなくならない
人が動物である限り不安がなくなる事はないんでしょう。動物としての本能が不安感を作り出す、それはどれだけ明るい場所や優しい人に囲まれて生きていても、その中に違和感や恐怖心を見つけ出してしまう(個人差あり)。
これは何億年と生きてきた動物としてのDNAに刻まれた本能だと思われます。昔のRPGで魔王が言っていた言葉を引用すると、「悪は滅びない、悪は必ず復活する」といったところなんでしょう。
なぜか話が大きくなってしまいましたが、ここで終わりとします。この記事を書くキッカケになったのは『ダーウィンズゲーム』の後に『約束のネバーランド』を観たからだ、というのは秘密です。
いやー、『約束のネバーランド』面白かったー。