槇原敬之は救えなかったのか?
詳しく事情を知っている方にはこのタイトルを見て違和感を感じるかもしれません。
大して知らずに記事を書いて、後で調べたらこんな情報が出て来てズッコケてますが、それでもどうせなので書き上げて投稿します。
あ、今回はアニメと全く関係ないです。
アーティストは二流の人間
これを言ったのが誰だったかは憶えていません、でも言葉の意味は憶えているので解説します。
一流の人間というのは自分や周りの人の幸せの為に生きている、だから曲を作ったり映像を作ったりする必要がない。そんなのなくても十分幸せだからだ。
全くその通りだと思います、一度だけそういう人と親しくする機会があったので実感しますが、ほんとにクリエイターというのは二流か三流の人間だと思います(自分を含む)。
一流の、もしくは真っ当な人間は誰かに何かを伝えようとは思いません。身近な人に理解して貰い、理解する事が幸せへの近道だからです。
マスメディアが出来てからか、影響力のある人間が素晴らしい人だという風潮が出来ました。でもそれは間違っている、その事実に気付いておいた方がいいと思います。
人に頼るか物に頼るか
クリエイターを含め人間というのは何かに頼らないと生きていけない生き物だと思います。それは物であったり人であったり。
人に頼れない人間は物に頼る、これを言ったのは田代まさしだったと思います。プライドが高かったり他者に弱味を見せられない人間というのは一定数存在します。そういう人間は何らかの物に頼らざるを得ない、そして依存という形を取る事も多いでしょう。
クリエイターという人間は基本的に弱い人間なのだと思っています。創作という形でしか自分を出せない、認めてもらう事が出来ない。そういった人たちが薬物やお酒に依存してしまうのはそう珍しい事ではない。これは日本に限った現象ではないでしょう。
「人に迷惑を掛けない」は正しいのか?
ここでフと思い出したのがこの言葉です。小学校で教わったような言葉ですね。今の日本ではこれが当たり前のように考えられていますが、果たしてこれは正しいんでしょうか?
人に迷惑を掛けない、この「人」というのは他人の事ですが、どうして相手の気持ちが分かるのか? と思ってしまいます。
そもそも迷惑とは誰にとっての迷惑なのでしょう? 自分がされて嫌な事はするな、と一度は言われた事があるかもしれません。でもそれは相手によって違うのではないか?
今回の件に関して言えば、槇原敬之に愚痴を吐かれて困る人間はどれだけ居るんでしょう? 一緒に酒を飲んで愚痴られる、最高じゃないですか。少なくとも僕は喜びます(そう思わない人が居るのも分かります)。
迷惑の定義は相手や自分のその時の状況によっても変わります。それを一元的に決めてしまっていいのか? という事です。相手のある事だから確認すればいい。
孤独死と迷惑を掛けない社会
日本の自殺率は割りと高いです(検索した結果、世界で13位と微妙な数字が出て来ましたが続けます)。その原因の一端がこの価値観なのではないか? と思います。
他人に迷惑を掛けない・掛けてはいけないという思い込みが生きづらさを原因の一つなのではないか?
孤独な人はどうしたいのか、誰かに頼りにされたいのではないか? もしくは頼りたいのではないか? だとしたらどうしてその二者はつながる事が出来ないのか?
自分や他人の迷惑に敏感になり過ぎて、その結果自分がいらない人間になってしまう。迷惑を掛けるぐらいなら死んだ方がマシ、という孤独な社会。今はそんな悪循環に陥っているような気がします。
表面的な明るさで満ちていて悩みを相談できる人も居ない。誰もが対等で明るくて暗い部分を見せずに生きる。それは一見正しい事に見えてどこかイビツです。
最後に
これは問題提起です、残念ながら回答は持ち合わせていません。なのでこれでこの殴り書きを終わりにしたいと思います。
あ、でも最後に一言。
一緒に薬やって楽しんでたんかよ! そんな奴捕まって当然じゃ!
でも薬物は売った奴が一番悪いと思いますまる