アニメをっち

アニメの感想、持論などを好き勝手に書いております

「ダメプリ」を観ろ

 タイトルは思わず口から出てしまった言葉(しかも液晶に向けて)。そこに行くまでの感情の流れを言語化する。

 

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©DAME×PROJECT/NHN PlayArt Corp.

 

 キッカケ

 まずはこの記事。ツイッターに投稿されたイケメンイラストに恐らく男であろうアカウントの人物が心ない言葉を掛けたというもの。

 

togetter.com

 

 その人を責める気にはならないし、イラストを描いた人にも運が悪かったとしか言い様がない。なぜならその心ない一言を言ってしまう気持ちが分かるのだ。

 

イケメンの賛否

イケメン賛歌

 見た目中心主義というのはもうどうにもならないだろう。映像や動画が拡散される世の中になっている以上、見た目は悪いよりいい方が良い。これは男女を問わない。

 しかし、問題はその事より根深いように思う。無意識の内にイケメンに対する憎しみのような感情が一部の男の中に存在しているだろうからだ。この場合、男子と言ってもいい。

 

スクールカースト

 その原因は学生時代にあると思う。今の状態は分からないが、女子と付き合える男子は限られていた。それは大半がスクールカーストの上位、なぜか偉そうで暴力的で、そして理由なく他のグループを見下す連中だ(個人的なフィルターが掛かった意見です)。

 その連中にしいたげられ、楽しくない学生生活を送った人間も少なくないだろう。

 

 イケメンを見る時にその連中と重ねて見てしまう人間はきっと少なくないはずだ。全ての人間がそうだとは思わないが、無意識に刻まれた恨みや憎しみという感情はそう簡単には消せない。

 

男から見たイケメン

 モテる男というのは軽薄そうに見えるものだ。当然、全てのイケメンがそうではない。そして彼らが女難という試練を乗り越えた上でそうなったという事実も今の自分なら理解できるが、それでも生物的な劣等感を感じるのは仕方がないだろう。

 

 モテる、女の扱いに長けているとはどういう事か? 女性とのトラブルを避け、上手く付き合い上手くやり過ごす方法を知っているということ。女という存在をどう使えば自分の利益になるか、その為にどう立ち回ればいいか、それらの事を熟知しているという事だ。

 もちろん例外は認めるが、以前に会ったイケメンの中に抱いた女の数を自慢する男が居た。恐らくそんな珍しい事例ではないだろう。若い男とは基本的にそんなものだ、もちろんこれを書いている冴えない男も例外ではない。もう若くはないが。

 

 参考文献。

buzz-netnews.com

(ちなみに本の中身は真っ白です)

 

ミソジニー

 どうしてイケメンの本性が分からないんだろう、どうしてそんな連中ばかりが持てはやされるのだろう。そう考える男も少なくないと思う。その結果として、見る目がない女性に対して憎しみを感じる男も居ると思う。

 この現象は恐らく女性から見た可愛い女への嫉妬と同等のものだと思う。

 ただ一点、不思議なのは、そんな見た目に恵まれなかった人間も見た目が良くてしかも(自分の)中身に気づいてくれる異性を求めてしまうという心理だが。これについては触れない。

 

 とりあえず男の視点から言わせて貰うと、モテるけれど理由もなく自分だけを愛してくれるイケメン。そんな都合のいい存在が居ると本当に思っているの? という事だ。

 まぁこんな正論が何の意味もない事は昔の自分を思い返せば分かる事なのでやめにする。

 

 それでも自分にだけはそういう人が見つかる……! と考えてしまう、人とはそういうものだ。

 

男性向けコンテンツと女性向けコンテンツの違い

 この辺りでようやくこのブログらしい趣旨に戻る。ミソジニーなんて基本的に語りたくはない、俺は女性が大好きだ。嫌いな女も居るが大半は好きだ(以下、長くなったのでカットする)。

 

 夢を見るのが悪いと言っている訳ではない、特に異性に耐性のない人間はそういうもので心を満たすのがいつからか出来上がったこの国の伝統だ。それと現実に疲れた大人たちも。

 

萌え

 男性向けコンテンツの中核を成しているのがこの「萌え」という概念だと思う。ドジっ子、ツンデレ、残念美人、等。

 これらの概念は主に女性の完全性ではなく欠点についての特徴だ。某うまるちゃんなんかはその典型で、外ヅラだけなら美人で性格もいいが家ではどうしようもないダメ人間というもの。

 そのダメな部分を愛でるのが「萌え」という文化だと個人的には解釈している。

 

乙女向けコンテンツ

 それに対して乙女向け(腐ではない)コンテンツはイケメンだらけ。そこまでなら構わないが、そのイケメンたちは精神的にも好青年であったり自信に溢れていたりと何やら完璧なのだ。

 人間とは何か? と思わず問いたくなる。猿から進化したんじゃないのか、それとも俺たちは神の使いや天使だったのか?

 

 女性向けコンテンツにそこまでの造詣は深くない。何度かチャレンジしてはいるが、むしろ浅い方だろう。だからこの見方が偏見である可能性はあるが、基本的にはそういう作品が多いという事実に間違いはないと思う。

 

 

ダメプリ』を観ろ

 ここまで来てようやくタイトルに辿り着く。

 『ダメプリ』という作品はダメなプリンス(王子)たちと彼らに容赦なく突っ込みを入れる主人公(小国の姫)の話だ。どこか自信過剰でおかしな王子たちを引いた目線で突っ込んで行く、それでいて愛情がない訳ではない。非常にバランス感覚のいい作品だと個人的には思っている。

 

 人の馬鹿な部分を、ダメな部分を愛せる。これは萌えだ、『ダメプリ』は女性向けの萌え作品だと思う。

 個人的な感情になるが『ダメプリ』を観た時に何かが救われた気がした。女性の審査する目線、そのプレッシャーや重圧から少しだけ解放された気がした。『ダメプリ』は男が観ても楽しめる、しかも救いのある作品だった。

(だが残念ながら元になったアプリのサービスは終了したらしい。アニメの二期はないのか……、無念)

 

いい夢、悪い夢

 何度も言うが夢を見るのが悪い事ではない。それらが生きる上での力になる・生活の潤いになる事はある。いい歳をしてアニメを観ている人間にこれを否定する権利はない。

 それでも思う、余りに良く出来た夢、現実を見ると幻滅してしまうような夢はもはや毒物ではないのか? 麻薬のようにそれなしでは生きていけないようなものをどうして量産されのか? (一時期なら良いと思うが)。

 

 残念ながら人はまだバーチャル空間に生きる事は出来ない。仮にバーチャルの世界が開かれたとして、人が求めるのはどこまでも甘やかしてくれる眠りのようなコンテンツばかりではなく、好奇心と刺激に溢れたものだと思いたい。

 見るなら少しでも良い夢を見よう。生きるのに妨げになるような物は余り過剰に摂取すべきではない。

 

 

 どうも論旨が定まっていないが、書きたい事は書いたので良しとする。

 分かってる人間には今更だろうけど言っておく、平等なんて建前でそんなの嘘に決まってんだよ。それに気付いても自分を変えれる人間なんて限られてんだよ。

 まぁ、なんだ。嫉妬乙の一言で済む話でした。