アニメをっち

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アニメ「超人高校生たちは異世界でも余裕で生き抜くようです」に見る中二病の変化

 「なろう系」という作品群がヒットしているようですね。つまみ食い程度に観ているんですが、何かが変わって来ていると思うのでその辺りの分析。

 あ、結論はないです。それでも良いという方のみお付き合い下さい。

 

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 「なろう系」で話を振っておいていきなりなろう作品ではないのですが、タイトルの長いこの作品ですね。

 非常になろう感が強いです。特徴を挙げると、

 

・「超高校生」という何でもあり感

・多人数で無双

・全ての物事を思い通りに解決する

 

 「超高校級」なんて言葉もありました。とにかく凄いぞ、と。何でも出来るぐらいの能力はあるぞ、と端的に説明する為の言葉ですね。

 実際、主人公たちはこの世界で万能なぐらいの力を発揮しているようです。

 

 次に、多人数で無双。

 この作品の大きな特徴だと思います。なろうの作品群は一人の主人公が無双する作品が多かったと思うんですが、これは役割分担があるようですね。

 ただ、今回は触れません。

 

 最後に、全ての物事を思い通り解決する。

 今回のテーマはこの部分になります。万能感・全能感。いわゆる中二病作品には欠かせない要素だと思います。

 

 

 ただ、中二病と聞けば代表されるような単語がいくつかありますね。「 邪気眼」や「闇の力」等のカロリーの高い単語が。

 そのイメージとこの作品では持っている空気がガラッと変わってしまっている。

 一体何が変わってしまったんでしょう?

 

  そこで過去の作品にある中二病の要素を三つに絞って挙げてみます。

 

・暗い過去・宿命

・自分は特別な(選ばれた)存在である

・万能感(その気になれば世界を滅ぼせる・覚醒)

 

 万能感は共通です、注目したいのは他の二点。

 暗い過去・宿命。これらがなろう系の作品にはほぼ見当たらない(「Reゼロ」等、一部は除きます)。

 どれだけの能力を持っていようが、精神的にはフラッとコンビニにでも出かけるような感じで異世界を闊歩しています。平熱感とか言うんでしょうか。

 彼らは全く背負わない。背負っていても負い目や後ろ暗さを感じていない。もしくは感じたくない。

 ノブレスオブリージュ(持つ者の義務)に平然と中指を突き立ててます。

 

 そして二点目の、自分は特別な人間である。

 もう書いてしまった感じはしますが、特別感はないです。特別感はなくても強い・もしくは能力がある。だから勝負には勝てるし全ての物事は解決可能である。

 それが少々嫌味に見えてしまったりもするので、ニコニコではそういうシーンが来る度に「は?」とか「いやいや」というコメントが飛び交ったりします。

 

 特別ではないのに能力があって何でも出来る。

 この矛盾するような要素はどうして共存できているのか。「世界に一つだけの花」とか、そういう概念で解決できる気はしないんですが……。

 更に彼らは背負う気もないし、なぜかカラッと明るい。

 

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(C)冬原パトラ・ホビージャパンブリュンヒルド公国


 そういえばチートなんて言葉もありました、簡単に言えばズルですね。

 昔ならそんなのを使う奴は絶対に敵だったんですが、今や主役が堂々とそれを使っていたりします。

 

 万能感も少し質が変わっているのかもしれません。昔のそれは戦闘でのみ発揮した気がするんですが、今は駆け引きや話術でも発揮されている気がします。

 中二病特有のコミュ障感がなくなっている。

 

 中二病を題材とした作品(「中二病でも恋がしたい」「異能バトルは日常系のなかで」等)を観れば過去の中二感がどういうものなのか分かりますね。

  俺に触れるな! 感。盛り盛りの設定でガチガチになって動けなくなってる感。

 あの感じです。

 

 

 一体何が変わってしまったんでしょうか?

 頭を抱えたままで今回は終わりたいと思います。