絵を楽しむか物語を楽しむか
この記事を読んで謎が一つ解けた。
余り萌えを理解していないというアニメを観る人間としては珍しいタイプに属している自覚はあるのだが、その中でも理解できない作品がいくつかある。
心がぴょんぴょんしてしまうあの作品だ。
面白くないと言っているのではない、面白がり方が分からないのだ。観ながら何を見ていいのか分からない、前衛芸術をポカンと口を開けて見る感覚と言えば通じるだろうか、そんな感じになってしまうのだ。
キャラは確かに動いてストーリーも展開するのだが、余りにも予定調和というか先が分かってしまう。言うならば人形劇を見せられている気分だ。
だが、これで合っているらしい。
最初に貼ったリンク先の記事を自分なりに意訳すると、
「アニメキャラの顔は人種の壁を越えた人形である、愛される為の玩具である」
(リンク先に直接この言葉はないので、気になる方は記事を読んで貰いたい)
つまり、人形劇でいいのだ。人形が登場人物なのだから人形劇は正しいストーリーと言える。むしろそちらの方が正しいとまで言える。
つまり心がぴょんぴょんする人たちは人形の可愛らしさを楽しむ為に人形劇を見ていたのだ。
一時期使われた言い方を借りると、IQを溶かして楽しんでいたのだ。
何を当たり前の事を……、と思われる方も居るかもしれないが、本当に分からなかったのだから仕方がない。
これだけでは記事としてどうなのかと思うので、自分の観方とぴょんぴょんする人たちの観方を比べてみる。
アニメをどう評価するか、どう観るかという点で大きく違っている。
つまりアニメをビジュアルで評価するか物語として評価するか、という違いだ。
・人形なのだから人形が可愛く見えるようなストーリーがいい
・アニメを一つの表現として、映画のような感情の変化やエンターテイメントを楽しみたい
つまり絵を楽しむか物語を楽しむかの二者に大きく分かれる。
どちらが正しいという訳ではない。ただ、アニメの評価が人によって大きくブレる原因の一つはこれなのかもしれない。