アニメをっち

アニメの感想、持論などを好き勝手に書いております

遅れて来た完成形デスゲーム作品「ダーウィンズゲーム」

 なぜか安心して観ていられるこの作品。その個人的理由について語ってみたいと思います。

 あえて「完成形」という言葉を使ったのにも理由があります。でも多分、この作品については余り触れないと思うのでご了承ください。

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© FLIPFLOPs秋田書店)/ダーウィンズゲーム製作委員会

 

 そもそもデスゲームとは?

デス・ゲーム - Wikipedia

登場人物が死を伴う危険な娯楽に巻き込まれる様相を描くようなフィクション作品、およびそのようなフィクションの劇中で描かれる、参加者の生死をチップにした架空の娯楽である。

 

 日本では『バトル・ロワイアル』が有名だと思います。大人の都合によって殺し合いをさせられる子供たち、という作品です。この構造を元に山田玲司という人が面白い分析をしていました。

 

 『バトル・ロワイアル』がヒットしたのはバブル崩壊後、それまでの高度経済成長が終わり、安定した生活を出来る人間が限られてしまった。だからその座を取り合う形でデスゲームが始まったのではないか、というもの(動画で観たのでソースは貼れません、どの動画だっただろ……)。

 具体的には受験や就職・出世争いになるんでしょうか。

 

 その辺りの社会情勢も手伝ってか(もしくは制作費の安さからか)デスゲーム物の映画や小説・漫画がいくつも世に出たのを憶えています。

 

残念なデスゲーム

 それらデスゲーム作品ですが、残念ながら余り質のいいものがなかった(個人の感想です)。質と言ったのは作品の面白さうんぬんではなくて、登場人物の心の動きが不可解であったり設定が都合良く作り変えられたりと、作品への感情移入が難しい作品が多かったと記憶しています。

 

 その理由の一つとして考えられるのが、携帯小説というジャンル。恐らくですが、このジャンルは普段余り小説を読まない層の人が読者の中心になっている。なので作品の質より勢いや話題性、もしくは設定のみで選ばれた作品がアニメ化やドラマ化、更に実写映画化したのではないかと思われます。

 そしてそういう作品は版権が安いのか、Gyaoやニコ動の「ホラー百物語」等でいくつも放送されて、ニコ動にはまっていた自分のような人間がその犠牲(?)になるという不毛な構図が出来上がっていました。

 

安心感の理由

 『ダーウィンズゲーム』を安心して観ていられるのはそういう個人的なバックボーンがあるからです。急に設定がブレたりしない、登場人物が情緒不安定な行動を起こさない。もうこれだけでもありがたいのに、内容もしっかりエンタメしていて面白いです。

 そのお陰で今までの不毛な時間が浄化されるというか、感謝の気持ちまで沸き上がって来る。この辺りが完成形という言葉を使った理由です。

 

どうして今頃デスゲーム?

 それでもちょっと時代遅れな感じはあります。既に就職氷河期も終わって、今の学生は引く手あまたな状況のようです。

 少し前にやっていた『ナカノヒトゲノム【実況中】』という作品は殺し合いではなく協力して脱出しようという、まぁ言えば逆の作品だったと記憶しています(例によってちゃんとは観てませんが)。

 

 不況が当たり前になり、席を奪い合うより協力しよう、という空気が出来上がりつつあるのではないか? と個人的には解釈していますが、それが合っているのかは分かりません。

 まぁ社会がどれほど変わったとしても、思春期の子供たちからサバイバルや戦いへの欲求は消えないでしょうし、そんな感情が定期的にこういうデスゲームを流行させるのかもしれません。

 

余談、進化論と弱肉強食

  この作品のタイトルであるダーウィンですが、進化論で有名ですね。この作品の戦いが進化を象徴しているのならそれは少し意味が違っていて。

 進化とは適者生存の事です。パンダが笹を食べるのはパンダの強さが理由ではなく、そうしないと生き延びれなかったから。言い方を変えると、笹を食べる事でその環境に適する事が出来た訳です。

 もし強い固体が生き残るというのが進化というならライオンは全ての種よりも数が多くなって他の種は生き残っていないでしょう。ライオンが生き延びるにはエサになる草食動物の生存が必須になる訳です。

  この二つは良く混同されるようですね。

 

適者生存 - Wikipedia

「強い者が生き延びたのではない。変化に適応したものが生き延びたのだ。」

 (この言葉はダーウィンが言った事ではないようです)

 

 何にしろ、今までのデスゲーム作品とその為に費やした自分の供養の為にも、この作品を楽しもうと思っております。

 ……ほんと、作品の中身には全く触れなかったなぁ。