アニメ「宇宙よりも遠い場所」について言わせてくれ
この作品について語る資格がないのは承知の上だ。
いつか記事化しようと思いながらも下書きのまま埋もれていたのだが、2019/12/14にニコ生で一挙放送をしやがりくれやがったお陰様でありがとうありがとう記事化に踏み切った。
作品の特徴三点
まず作品の特徴を三点挙げる。
- アンチ日常系
- ちゃんとした取材・下調べ
- 変わって行くものと変わらないもの
ストーリーに関してはシンプルだ。女子高生の四人が南極に行く、本当にこれだけの話だ。
なので特徴の解説に入る。
アンチ日常系
まずアンチ日常系だが、日常系の定義については前の記事で書いた。
なので個人的に挙げた三つのみを再び列挙する。
- 異性恋愛の排除
- キャラクターが成長しない
- 他愛のない笑い
この作品も一見そのように見える。主要キャラに男は居ないし一見女の子同士のイチャイチャがメインに見える。
だが2と3に関しては明らかに違うと言える。
ここで「OPには全てが描かれている理論」を採用する。
OPの冒頭辺り、着ている服から南極へ行く時の格好だと分かる。まぶしい情景と活き活きした表情だ。
服装を検索すると作業着と出たが、合っているのかは分からない。
そして学校内に場面が変わる。
一目瞭然ではあるが、教室内が暗い。くすんでいるのだ。この演出は作中でもされている。
意図的なのは明らかだ。
個人的な解釈を入れて言語化すると、そこ(学校)には何もない、早くそこから出て世界を見に行こう。そんな風に言われているように思える。
この学校というのは、職場でも日常でも何でもいい。
どうせだから一話のリンクを貼っておく。
ついでに歌詞のリンクも。
何て露骨な歌詞を……。
この作品は日常系に対して正面からケンカを売っている。個人的にはそう解釈している。
その手口は巧妙で、表現的にもほとんど女の子たちの会話が占めている、お決まりのようなやり取りやいつもの感じに溢れている。日常系と同じなのだ。
それでも取り巻く環境はどんどん変化していくのだ、当たり前のように。
それこそ日常のように女の子たちはその変化を乗り越えて行く、そんな話なのだ。
ちゃんとした取材・下調べ
この作品ではリアリティが重視されている、ように思う。言い切れないのは自分が知らないからだ。でも多少ご都合な部分もある。四人組の中に一人アイドルが混ざっているという点だ。だがそんな話はどうでもいい。
なぜそのリアリティが必要なのか、これが最も重要な点だ。
この作品で描かれているのは変化だ、変わっていくこと。日常系の真裏にあるもの。その変化を描く為には変化の先にあるものを描かねばならない。変わりましたで終わりではない、自分が変われば世界が変わる訳ではない。違う環境に身を置いて、それでも変わらないものを発見するのが変化だ。
と、フライングをしてしまった。
変わって行くものと変わらないもの
うん、もう書いた。
成長とはえてしてそんなもので、何も変わっていないと思いながらも別の場所に居たり、変わり続けているつもりだが変わってないと言われたり。この作品は終始女の子同士がイチャイチャしているように見えるのだが、彼女らの成長もしっかり描かれている。
序盤で描かれる女の子それぞれのくすぶり、それらは決して特別なものではない。だからこそ、日常でくすぶっている人間の心を刺激する。数話観てどうしようもなくなって必死に文字を綴っている自分もそんな一人だ。
特別な人間が特別な動機を持って特別な場所へ行くのではない、そこら辺に居そうな人間が他愛のない動機で特別な場所へ行くのだ。行けるのだ。
この作品はそう言ってるように思える。
「よりもい」はお涙頂戴コンテンツなのか?
だが一つ引っ掛かった。これは主に作品についてではない、ニコ動のコメントだ。「もう泣く」「やばい、涙が」等のコメント。
いや、気持ちは良く分かる。序盤で既に涙腺が緩んでいるのはそのコメントを打った人のみではない。ただそれでも気になったのは、最近チラホラと見受けられる「お涙頂戴コンテンツ」だ。あえて作品名は挙げないが、アニメにもそういったもの(と個人的に思っているもの)は存在する。
ちょっと待て、と。お前はこの作品をそういったお涙頂戴で済ますのかと。毎日の生活で疲れた、ねじくれた、鬱憤の貯まった感情をこの作品で涙と共に洗い流す為に観るのか、と。
もちろんそれが間違った視聴方法だとは言わない、コンテンツをどう消費しようが人の勝手だ。制作者にだって強要できない。
それでもお前はこの作品を涙と共に洗い流して「はい、お仕舞い」としてしまえるのか? と。
本当に? ほんとにほんと? え、嘘だろ……?
思わず良く分からない自問自答を繰り返してしまったが、もちろんそれが悪い訳ではないのは承知の上だ。それでも一言だけ言わせて貰うと、その涙は悔し涙であってくれ、と思うのだ。
この作品の女の子たちは自分を変えようと必死になって、だからこそあれだけキラキラとしているのだ。日常系の女の子たちがキラキラしていないという訳ではないが、言ってしまえばあれは男たちのエゴによって生まれた優しく可愛いだけの女の子たちだ(それでも癒されましたがね)。
最後に
どうも脳内がゴチャゴチャしている、どこまで通じているかは分からない。だがこの作品は正座して観るべきなのだ、日常の中に埋もれてしまってそこから抜け出せない人間には決して見る事が出来ない世界。それがこの作品には描かれている。
あんな表情は決して見せてくれない、新しいものに出会いワクワクした顔や何かを乗り越えて行く逞しい一面も。
この作品がフィクションだという事は百も承知だ。それでも自分たちの知っている世界の外側にある何かについて描かれた作品、そしてその感動をそのまま伝えてくれる作品なんてそうは無い。
うん、ようやくこの作品の魅力を少しでも言語化できた気がするので満足して終わる。
最後に制作者陣の方々へ心から言いたい。
ありがとう!! そして悔し涙を食らえ!